◎略歴
昭和45年(1970年) 1月 東京都葛飾区にて出生
幼稚園入園時に埼玉県春日部市(クレヨンしんちゃんと同郷)に引越し22歳まで過ごす。
中学まで地元春日部市の公立学校に通っていたが、ごく平凡の目立たない子だった(自称)。
昭和60年(1985年) 4月 東京都新宿区の私立早稲田実業学校高等部商業科入学
片田舎の安穏とした生活から一転、毎日約2時間弱の通学時間をかけて大都会の高校へ通う。15歳でかなりのカルチャーショックを受けた。たくさんの思い出を作り忘れられない高校3年間だった。
昭和63年(1988年) 4月 早稲田大学商学部に入学
「大学生活は『人生の夏休み』と社会勉強の場」と自分で勝手に決めて、青春を謳歌。実家の家族からは総スカンをくらうがめげずに人生最高の「遊びの時」を過ごす。この4年間で学んだ様々な事、たくさんの友人は自分にとって今でもかけがえのない財産である。
平成4年(1992年) 4月 某住宅メーカーに就職
総社員数12000名余の住宅メーカーに就職。平成4年の新入社員約400名の東京採用総代として入社式(東京会場)で挨拶をした(伝説!)。
本業の住宅販売部門ではなく、ホテルやゴルフ場等の大規模開発を手掛ける開発事業部用地部門へ配属となり、当時冬季オリンピック開催が決まった長野県へ。
「用地の仕入れ交渉」「地元開発同意取得交渉」「開発許認可交渉」という様々な難しい交渉を担当させてもらったが、持ち前の性格と大学時代に培った人とのコミュニケーション能力(?)により、仕事をこなす。
長野県長野市にてホテルの用地取得、開発許可取得を終え転勤となる。
平成6年(1994年) 9月 転勤により熊本県阿蘇郡一の宮町
(現阿蘇市)へ
約120ヘクタール、1200区画の別荘地の「用地の仕入れ交渉」「地元開発同意取得交渉」「開発許認可交渉」を担当。
生涯の人生の師と仰ぐ司法書士の先生と出会う。
熊本県阿蘇での約3年間は、仕事内容もさることながら、自分の人格形成、人間関係構築の面においても貴重な忘れられない3年間だった。
平成9年(1997年) 11月 転勤により奈良県へ
工場用地の用地買収(未買収地の追加交渉)・開発許認可再交渉、住宅団地の開発済問題点の解決を担当。
「人の権利を守る」「法律の大切さ」を身にしみて感じながら仕事をしていた。自身の興味もあったが、仕事上の意味においても「民法」「不動産登記法」「行政手続法」やその他関連法規の勉強をしながら仕事に従事していた。
平成15年(2003年) 8月 会社を退職
「徹底的に法律の勉強がしたい」という一身で約12年間勤めた会社を退職。しばらく勉強生活に入る。
途中、短期間でカード会社のコールセンターにて顧客担当の仕事をし、別次元の法的解決等のニーズの高さを痛感する。
平成18年(2006年) 7月 奈良県下の司法書士事務所勤務
実際の法的解決の最前線の場にて実務経験を積む。士業としての仕事の取り組み方、法律の重要性をとても強く感じる大変貴重な2年間を過ごす。
平成20年(2008年)10月 とおやま行政書士事務所 開業
現在に至る。
私の場合、実際の現場にて「法的解決」を求める人との交渉の場を幾度となく経験し、その都度「法律の重要さ」を身をもって感じてきました。そしていつか「もっと多くの方の法的解決のお手伝いがしたい」と考えるようになりました。
そして、資格を取得し「とおやま行政書士事務所」を開業しました。
開業後まもないため、「行政書士」としての実績は決して多くないですが、多くの実務経験と「行政書士」というプロの視線から、多くの皆様のお手伝いができると信じています。
◎プライベート
・家族構成 妻・長男・長女
妻は大学時代の語学のクラスメートでした。しかしながら学生時代はしっかり勉強する妻と「人生の夏休み」を豪語する私との接点は当然多くはなく、いわゆる単なる「クラスメート」でした。
・特技 人を嫌いにならないこと
自身の性格によるところも多いと思いますが、サラリーマン時代に「用地の仕入れ交渉」という特異な仕事を担当していたためだと思います。
・好きな言葉 去華就実(きょかしゅうじつ)
高校の校訓です。「華より実を大事にしなさい=外見より中身」という意味です。
・モットー いつも楽しく。「忙しい」「忘れた」は口にしない
いつも楽しい気持ちで過ごせば必ず幸せになれる。少々哲学的ですが、私はそれを信じています。そして「忙」「忘」はともに「心を亡くす」と書きます。人様に「私は心を亡くしています」と宣言するような「忙しい」「忘れた」は口にしないよう心がけています。
